石巻の高橋さんご夫妻

友人の高橋幸夫さんご夫妻が、宮城県石巻市田代島に移住されて六年目を迎えた。その記念の日記です。
許可を得て転載します。

22年1月18日
高橋幸夫
田代島に移住して6年目です。
田代島は猫島でも有名です。東北大震災以後、より広く知られるようになりました。。
石巻は世界三大漁場の一つ。親潮(寒流)と黒潮(暖流)がぶつかる海域と、三陸沿岸に連なるリアス式海岸、多くの島々が点在し、魚の絶好の住処となるために、豊富な種類の魚貝類が水揚げされます。
又、リアス式海岸の影響で、山地が海岸線まで迫り、森のミネラルをたっぷり含んだ山水が絶えず海へ流れ込むため、植物性プランクトンの発生も豊富で、養殖の「かき」や「ほたて」「ほや」など海の幸は黄金のようです。
田代島は石巻市門の脇、フェリー乗り場から高速で30分程で着きます。
僅か4キロ四方の島で有りながらも、かつては遠洋漁業の基地でもあり、中学卒業と同時に、それぞれの船主の乗組員として炊事担当から、海の男に成長するための修行が始まりました。
勿論、沿岸漁業でも四季折々に、海産物が沢山にとれました。
また、山の幸、季節の山菜採り、米の収穫も出来る恵まれた地形でもあり、年中、お米の食べられた島でもあります。
畑もあちこちに在り、これは女性達の仕事です。
田代島は正に時給自足が可能な、実に恵まれた22世紀モデルの様な島です。
人口、昔は多い時で千人以上の島民、小中学校もあり200名程の生徒もいました。
高度経済成長と学歴社会となり、若者達は高校入学と同時に石巻市に住みます。海洋関連で生きる人生から、学歴社会の都市経済生活に飲み込まれて行くようになります。
結果、漁業の後継ぎも減り、島民人口も激減していきます。
現在は島民40人足らずです。
若い世代を島の生活に繋げられればと奮闘しています。
それでは簡単に、この6年間でやって来たことをご紹介いたします。
田代島には二つの港があり、石巻から出発して最初の港が大泊です。
ここに古民家を借りて、住居と生活の出発になりました。
元々私も石巻市の隣り、登米市出身です。農業漁業里山生活が大好き人間なので、楽しく生活させて頂いています。
登米市は昔から町民総出で、春夏は「道路ふし」と言って、道路の環境整備を行います。今でも続いています。
田代島も、もともと島民総出でやっていたのですが、高齢化と島民減少で、これが出来なくなってしまいました。
最初この島に来た時から、この事を感じていましたのですが、島の皆様に対しての御恩返しと思い、この「道路ふし」を手始めに一人で挑戦してみました。
こんな事をしている内に、ご近所様とも親しくなり、耕さなくなった畑を作って良いよ言われたりしながら、畑作りを始めました。
今では多くの畑を提供して頂き、色々な季節毎の野菜栽培をしています。
最初に住んだ古民家も今では「古民家(珈琲)カフェ」になっています。現在はコロナで休業状態ですが。
今住んでいる所は、大泊の隣の仁斗田です。
此処でも、住民の皆様と親しくさせて頂いています。おすそ分け精神で、差し上げたり、また頂いたりです。
屋根のベンキ塗り、簡単な修繕、障子張り、様々です。勿論、漁業が主体の島の仕事です。

高齢化した組合の皆様は、朝早くから冷たい海に出で忙しく働いております。
それは健康と元気と、人生に対する「達観」の様にも私には感じ頭も下がります
漁業組合会員の皆さんの仕事を簡単に紹介しますと、午後、網を自分の思い入れの場所に仕掛け、次の朝早くに網をあげます。
それから岸壁の持場で網から魚を外し、一番フェリーで出荷します。
その後ごみ取り、傷んだ網を修繕、午後に再び網をしかけます。
この間に四季折々、アワビ、なまこ、岩のり、布海苔、ひじき、ワカメ、ウニと口開けがはじまります。田代島は農業漁業産業生活一体の島ですね。
まさにスローライフそのもの。大自然の命を育てながら、自分もその命に育てられる生活である事に、ただただ感謝の日々です。
田代島に特別な思い入れの方3名をご紹介します。
猪狩さん、広永さん、加藤さん。東京、千葉、神奈川在住でありながら田代島に思い入れの深い方方です。
建築家ですが絵を描くと元気になる猪狩達男先生。
田代島の植生に深い関心を寄せて下さる植物学者の広永先生。
加藤先生は台湾の大学教授、田代島の生活に深い関心を寄せて下さっています。大応援団です。
田代島に住んで感じる事は、日本人の心にある縄文時代からの生活文化です。これが農業漁業その為の、壊れない長持ちする器具作り、それを取り巻く自然の命の関わりの中で勤勉、正直、真面目などの精神文化が醸し出されたものだとおもいます。
日本人の一人一人が持っている素晴らしい内面の遺産に、今こそ覚醒すべきと思います。
最後に、ここ仁斗田では漁業組合、お寺、鎮守稲荷神社の環境整備を年間を通して任されてやっています。
大事なものを任されている事も、この島から頂いたご恩の様にも思い、有り難く感謝しております。
今後もこの島の発展の為に貢献できるよう精一杯精進して参ります。
どうぞ皆さん、田代島体験をしてみて下さい。
きっと、縄文の心を思い出されるでしょう。

佐藤 溯芳(さっぽう)

人間魚雷「回天」についての研究と日本書紀・古事記の歌謡を読み解く第一人者、佐藤溯芳(さっぽう)の経歴、活動についてご紹介致します。

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