令和4年3月8日午前11時ころのドラマです。
宮崎県延岡市行縢(むかばき)町、大和朝廷の黎明期に活躍した古代日本の英雄・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が命名した伝説がのこる行縢山(むかばきやま)、この麓に行縢神社が御鎮座します。
行縢(むかばき)とは、日本武尊が、山の形が行縢(毛皮製の乗馬用下半身コート)に似ていると仰せられ、”行縢山”の名がついたと伝えられています。行縢山は、西側にある標高約831メートルの雄岳と、東側にある標高809メートルの雌岳からなり、その間に、「行縢の滝」があります。別名「矢筈(やはず)の滝」(矢筈:矢の末端の、弓の弦(つる)を掛ける窪んだ部分)と呼ばれ、一枚岩の絶壁を流れ落ちる落差77mの雄大な滝は、日本の滝100選にも選ばれています。
このように、秀麗な山と荘厳な滝は古代の山岳信仰を起し、これらを御神体として養老二年(西暦718年)、紀州(和歌山県)熊野大社の御分霊が奉祀され、御祭神は伊弉冉命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)三神で、行縢嶽三所大権現と称されています。
日向代々の藩主の崇敬があつく、長寛二年(西暦1164年)には鎮西八郎為朝が当社に参籠して武運長久を祈願したと伝わります。
行縢神社の参道でドラマは始まりました。
望遠レンズのカメラ2台を首に掛けた男性が、野鳥の飛来を待っている様子。
「何を撮られるのですか?」と問うと。
男性は「ルリビタキですよ、毎年この時期に日本に飛来して、この場所に、だいたい1時間おきに来ますから、ここで待っています。」
神社にお参りして参道の帰り、丁度、木の梢からルリビタキが舞い降りたのです!
男性は落ち着いてシャッターを切ります。
ルリビタキも自分の被写体に、ご満悦しているかのように、撮影ポイントを選んでいるように思えました。
男性に、「良いのが撮れましたか?」と聞くと、撮りたての写真を見せて下さいました。
「わわー、凄いすごい!きれいな瑠璃色ですね!」と感動、感激。
その勢いで、「もしよろしければ、お写真を送って頂けませんか?」と所望。
男性は、「良いですよ、いちばん綺麗なのを送ってあげますから、Emailでも教えて下さい。」わたしは丁重に名刺をお渡しした。
何と、その日に早速、竹尾公彦様から、ご丁寧なメールに写真(ルリビタキ)添付されていました。
その鳥の瑠璃色の美しいこと!
竹尾様も、ルリビタキも、きっと、行縢の神様の使いだったのでしょう!
竹尾様は旭化成(株)の元研究開発者、宮崎大学でも教鞭を執られていました。
行縢神社でのお出会いに、心より感謝御礼申し上げます。
0コメント