テーマは「厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)の『十七条の憲法』」
前回に引き続き、「厩戸(うまやど)皇子」の表記について考えるところから始めました。
小中学高校の教科書には、厩戸皇子(聖徳太子)と表記されています。このことは、『日本書紀』に「聖徳太子」の記載がないからです。
では一体、「聖徳太子」という名前が歴史の上に現れるのは何時のことでしょうか。西暦751年、日本最初の漢詩集『懐風藻』の【序】にその名が初めてお目見えするのです。日本書紀が編纂されたのが720年ですから、およそ30年後に忽然と現れたのですから、本当にびっくりします。
『古事記』成立は712年、『日本書紀』編纂が720年、『懐風藻』は751年です。そして再び、「聖徳太子」のお名前が現れるのは、平安時代初期に書かれた最古の説話集『日本霊異記』(822年)。『日本書紀』からおよそ100年後でした。
『日本霊異記』は『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)を略して呼ぶのですが、著者は奈良右京の薬師寺の僧・景戒、生国は紀伊国(和歌山県)名草郡と言われています。
日本史上、最高の知性と独創性を兼ね備えた聖徳太子は、一方では心優しい方でした。それを証明するのが『日本書紀巻二十二』に在る聖徳太子の歌です。
『日本書紀歌謡第104番歌謡・聖徳太子の歌』について。
西暦613年、聖徳太子が片岡山に遊行(布教のため巡り歩く)した時、飢(う)えた旅人が道に臥(ふ)していた。姓名(せいめい)を問うても答えない。
聖徳太子はこれを見て飲み物と食物を与え、衣を脱いでその人を覆(おお)ってやり、「安らかに寝ていなさい」と語りかけ、次のように歌われたのです。
《 しなてる 、片岡山(かたおかやま)に、飯(いひ)に飢(ゑ)て
臥(こ)やせる、その旅人(たびと)あはれ
親無しに、汝(なれ)生(な)りけめや、さす竹の、君はや無き
飯(いひ)に飢(え)て、臥(こ)やせる、その旅人あはれ 》
今から1300年も2000年も以前の古代歌謡(古事記・日本書紀歌謡)とは、一体、どのような旋律(メロディー)を持って歌われていたのでしょうか。
音楽的復興の研究により新たに甦った古代歌謡。そのゆったりとした【母音の音楽】を現代の人々にお届けしたい、といつも思っています。
『日本書紀』巻二十二 推古天皇二十一年十二月庚午朔
十二月の庚午、朔(一日)、皇太子、片岡山に遊行す。時に飢たる者、道の垂に臥せり。仍りて姓名を問ひたまふ。而るを言さず。皇太子、視して飲食を与へたまふ。即ち衣裳を脱ぎて飢者に覆ひて言はく。「安らかに臥せれ」とのたまふ。則ち歌して曰はく。
斯 那 提 流 (しなてる)
箇 多 烏 箇 夜 摩 爾 (片岡山に)
①伊 比 爾 惠 弖 (飯に飢て)
②許 夜 勢 屡 (臥せる)
③諸 能 多 比 等 (その旅人)
④阿 波 禮 (あはれ)
於 夜 那 斯 爾 (親無しに)
那 禮 奈 理 鷄 迷 夜 (汝 生りけめや)
佐 須 陀 氣 能 (さす竹の)
枳 彌 波 夜 那 祗 (君はや無き)
⑤伊 比 爾 惠 弖 (飯に飢て)
⑥許 夜 勢 留 (臥せる)
⑦諸 能 多 比 等 (その旅人)
⑧阿 波 禮 (あはれ)
皇太子は使者を遣わして、飢えた人の様子を見に行かせた。使者は戻って来て、「飢えた人はすでに亡くなっておりました。」と申し上げた。そうすると、皇太子はたいそう悲しまれ、その地に埋葬させ土を固く盛って墓を作らせた。
数日後、皇太子は側近の者を召して語った。「先日、道で倒れていた飢えた人は凡人ではあるまい。きっと、真人(聖)であろう。」と仰せられ、使者を遣って見に行かせた。使者が戻って来て、「墓所に行って見ましたら、土を盛って埋めた所は動いておりません。中を開けて見ますと、屍骨はすっかりなくなっておりました。ただ衣服だけが、畳んで棺の上に置いてありました。」と申し上げた。そこで皇太子は再び使者を返し その衣服を取って来させて、今まで通りまた着用なされた。 時の人はたいそう不思議がり、「聖が聖を知るというのは本当なのだなぁ。」と言い、ますます畏んだ。
以上の語りは、皇太子が飢えた人を神仙(聖)と見抜く非凡な聖人であること説いています。
西洋ではギリシャ思想的に「知・情・意」=《知性の人・こころ豊かな人・強い意思を持った人》を理想とします。厩戸王(聖徳太子)はまさにそのような方でしょう。
『日本書紀歌謡104番歌』を音楽的復興として研究するとき、歌謡の対句リフレインが①と⑤、②と⑥、③と⑦、④と⑧とで観察されます。
特に、②「許 夜 勢 屡」と ⑥「許 夜 勢 留」の
②【屡】と⑥【留】の一字一音の異なり表現は、何を意味するのでしょう。
これらの問題を解決するためには、①古代日本語アクセント、②中国原音声調の基礎研究が必要条件です。この入門講座ではそのことも少しずつご紹介したいと考えています。
追伸。
久保順先生が心を籠めて♪聖徳太子の歌♪を歌って下さいました。わたしは、古代日本語アクセントを読み取りながらお聴きしていました。何故か、泪が溢れてくるように、順先生の澄み切った魂の歌声に感動したことでした。
「第5回 日本書紀歌謡入門講座」は新年1月19日(土)、「豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)の歌」。
尺八演奏・低音の魅力は田中黎山先生です。どうぞ、ご期待下さいますよう。
この一年、スペースKの木川靜雄様とのお出会い。また、江戸城天守閣築城の会様とのご縁を頂きましたことは未来を語れる歓びです。日本書紀歌謡入門講座は毎回、拙いお話の連続でしたが、資料はどれも大学院レベルの一級です。
ご参加頂いただきました皆さまの熱心な学びのお姿ほど尊く思ったことはありません。関係者の皆さんにも心より感謝御礼申し上げます。
田中黎山先生、久保順先生、お二人とも世界的なアーチストです。お二人にとりましては、演奏のほかに、まさか「歌う」「歌わされる」ことは人生のアンビリーバボウ!でしょうが、きっと、「アメイジング・グレイス」(神の恩寵)を受けられ方々だと信じています。こころからの感謝を捧げます。
平成30年12月12日
和歌山大学 佐藤 拝
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